|
ふたつの新川からうまれた「新川」…その名前の由来。
■古老の命名と、ここの地形がともに「新川」だった、珍しい偶然の一致物語、聞いてください。
むかし、当地(かずさ地方)の人たちは田畑を開墾するのに大変な苦労をしたそうです。土質が柔らかいため、大雨が降るたびに川が氾濫して流れが変わり、山が崩れ、畑が失われました。
やがて村人たちは、こんどは逆に土質の柔らかさを利用して、人の手で水(川)を制御する「川廻し」という方法を考え出しました。
水道(水のためのトンネル)を掘って新しい川をつくり、元の川だったところを畑や田んぼにしていったのです。こうしてできた新しい流路を新川、田んぼや畑になる元の川を古川、と呼びました。弘文洞跡はそんな「川廻し」の代表的な例で、むかしは巨大な水路トンネルでした。
ところで「悠遊湯乃宿・新川」は、一本の小川と養老川の合流点に建っています。
春4月、露天風呂から小川をのぞくと、ハヤの幼魚たちが光の中で泳ぎ回っています。湯気のむこうからはカジカの声が聞こえています。
当館はこのすばらしい場所に源泉を見いだす幸運に恵まれ、当地の古老に「小さな泉が、やがて多くのお客様でにぎわう豊かで新しい川になるように」と、湯宿に「新川」の名を戴きましたが、最近、地形的にも「新川」であることが分かってきました。
ハヤの遊ぶ小川が、じつは先人たちが力を合わせ「川廻し」でつくった川(新川)だったのです。この新川は、いまはすっかり自然に同化し、上流部のトンネルに気づかない人には自然そのものとしか写りません。
「川廻し」で耕地をつくり続けてきた当地には、ですから本来は「新川」が沢山あり、そのすべてが村人の尊い汗でできた開墾の証といえます。しかし時代とともに過去が忘れられていくのは世の常でもあり、いまも新川と呼ばれている場所はほとんど見あたらず、他の名前に変わっています。
私たちは幸いにも、古老から戴いた「新川」と、地形的な「新川」を併せもつことになりました。
今後は命名の由来に、先人たちの偉業の歴史を重ね、「新川」の名の重みを充分に感じながらも、この場所に皆様に来ていただける幸せを大いに誇りたいと思っています。
■写真右奥、お風呂の下に見える流れ込み(小川)が、川廻しでできた川。
※「川廻し」と「上総堀り」は、水を制御する世界の2大技術ではないかと思います。そのいずれもが当地から生まれたことも大いに自慢したいと思います。
※「川廻し」については、千葉県立中央博物館・吉村先生のホームページに、くわしい紹介があります。また吉村先生は滝の研究家としても知られています。「滝を観る-千葉県の滝を例に-」
■ちょっとてれくさいおしらせです
当館若女将が「千葉のお宿」(千葉県旅館ホテル生活衛生同業組合運営)のホームページ・TOPに紹介されました。当ホームページもリンクもされていますので一度ごらんになってください。
|